年長児の今月の様子にも書かれていますが、10月29日から10月31日年長児が森吉に2泊3日のキャンプに行ってきました。。続いて11月14日、運動会がありました。
運動会については、プログラムもありますので参加できなかった皆さんもおおよその内容は想像がつくと思います。キャンプは、どなたも行っていないので今年のキャンプについて以下に簡単にご紹介します。
【10/29:キャンプ初日】キャンプ場に到着して場内の施設設備(炊事場、食事の場、トイレ等)を説明し、食材やキャンプ道具、薪、炭などを手分けしてそれぞれの場所に子どもたちだけで運びました。持参したおにぎりで昼食を済ませ、場内でなめこ狩りをしました。そして、夕食の準備に取り掛かりました。同時進行で寝室準備、食事場所の清掃をしました。夕食を済ませ、キャンプ場のオーナーと酒井先生による楽しみ会を楽しみ、就寝の準備をし就寝したのが21時過ぎでした。
【10/30:2日目】朝5時全員起床、朝食と昼食用のおにぎりの準備、同時に寝室の片づけをしました。7時、FMかまくら出演。朝食を済ませ、阿仁前田駅前で買い物(飲み物)をし、内陸線で阿仁合駅まで行きました。阿仁合駅構内で昼食(おにぎりと飲み物)を済ませ、阿仁スキー場に移動、ゴンドラに乗りました。キャンプ場に帰り、お金の精算(飲み物代、切符代)、夕食準備、寝室、食事場所の準備をして夕食を済ませました。夕食後、鷹巣ドラムサークルの方たちと楽しい時間を過ごしてから就寝準備をし就寝したのが21時でした。
【10/31:最終日】朝5時全員起床、朝食準備、同時に寝室の片づけを済ませました。朝食後バスで帰路につき、途中、阿仁前田温泉に寄り、きれいにして道の駅で昼食を済ませ、15時過ぎに帰園しました。
初日、なめこ狩りをしている最中にあられが降ってきたり、ゴンドラでは、麓の駅で雨だったのが途中でみぞれに変わり、頂上駅では一面真っ白な銀世界だったりとなかなか経験できないこともありました。これだけのことが2泊3日のキャンプのほぼ全てでですが、いろいろなドラマがありました。後日お知らせできる機会があればと思います(年長児の保護者の皆様には12/5報告会を予定しています。)
どうぞ想像してみてください。
ぬかるみで足場の悪い中、助け合いながら重い荷物を運ぶ子どもたちの様子。
かまどの前で涙目になりながら懸命に火おこしを頑張っている子どもたちの様子。 布団を敷き、シーツを整えている子どもたちの様子。暗い中包丁を持ち食材を切っ たり、冷たい水で掃除や食器を洗っている子どもたちの様子。 等々
という事で、その役割を十分果たしてくれました。今まで日常的に遊んできた成果を今まで誰も経験したことの無い制約の中でみんなの前で見せてくれました。
当園を卒園した子どもたちが活躍している様子や他の園を卒園した子どもたちとの違いを保護者の方や学校関係者の方々が、特に保護者の方は誇らしげに教えてくださいます。卒園後の子どもたちの活躍や様子を聞くと嬉しく思います。
多分に他の園さんと違う活動をしている私共を気遣い、励ましてくださってのこととありがたく思っています。
今年の年長児も5小学校に就学の予定です。
就学先のどこの小学校でも絶対少数派で、子どもたちは、自分らしさをなかなか出し切れていないのが現状だと思います。むつみにいるときには、むつみという環境(園舎や園庭ばかりでなく一緒の仲間や地域、保育者等、子どもを取り巻く全て)との関わりの中でひとり一人がそれぞれを認め合い、つながりあいながら活動をしてきた結果、前述したようなキャンプや運動会、日々の活動でのそれぞれの行動が生まれてきたのだと考えています。
これは、オンライン教育による学びや一人1台PCやタブレットを持つことでは間違いなく学べないことです。(それらを使うことによる教育や学びを否定するものではありません。当園は、市内では一番古くからICT化した園だと自負しています)
現行の公教育のように個々の持っている能力を個別に評価しようとするのではなく、子どもたちひとり一人が、人やモノ(環境)との関係性の中で、それらとどのようにつながっているのか、つながろうとしているのかを見ながら教育・保育活動を進めていきたいと考えています。
むつみの森、むつみの広場には、皆さんご承知のように遊具らしきものは何もありません。でも、子どもたちは何らかのあそびを見つけてきます。
まだまだ保育者のかかわりが多い気がしていますが、それでも子どもたちは、森の中に入り、見つけてきたものや気付いたことがあるようです。何を見つけてきたのか、何に気づいたかは、その子によって違います。それらが私どもが意図していることを超えてることがあります。森や広場の中で私どもの想像を超えた深い学びを子どもたちはしているのだと思います。保育者が、意図(計画)していることではない深い学びを子ども達自身がしていることを私どもが受け入れるだけの余裕がなければなりません。子どもたちの気づいたこと見つけたことについてのいわゆる学問的な裏付けについては、高等教育に任せようと考えています。 子どもたちが今この時期にしか経験できないであろうことを大切に考えることが、彼ら彼女らが将来、遭遇するであろう社会を生き抜く原動力になることを期待しています。